中小企業の財政再建へ、上杉鷹山から学ぶ率先垂範の収益構造改革

 2016.06.08  クラウドERP編集部

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改革者として知られるJ・F・ケネディ元アメリカ大統領が「最も尊敬する日本の政治家」を問われた時、迷わず江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山の名を挙げたと伝えられています。

上杉鷹山は、名家ゆえに蓄積された膨大な負債が米沢藩の財政を破綻寸前まで追い詰めていることを知り、これを再建するために、率先垂範して倹約を呼びかけ、地場産業を奨励して、僅か一代で16万両に及ぶ膨大な負債を完済した財政再建の神様としても知られます。

今回は、景気の不透明感が高まる中で一層強固な財務体質の維持・構築に取り組む中小企業の経営・財務のリーダーに向けて、「為せば成る 為さねば成らぬ何事も」の哲学に象徴される上杉鷹山の財政改革手法を紹介します。

逼迫する藩の財政を立て直し、莫大な借財を完済

軍神・上杉謙信から連なる上杉家の系譜は、均衡なき財政縮小の歴史でもありました。初代謙信が越後に築いた200万石の所領は、2代景勝の頃に豊臣秀吉により会津に移されて120万石へ、徳川家康の頃に米沢に移されて30万石に、さらに4代綱勝が跡継ぎを決めずに急死した科を受け15万石に減封されます。

収入である石高が縮小の一途を辿るにも関わらず、上杉家は名家の威厳を保つために200万石並みの家臣や佇まいを維持し、現代の経営に置き換えれば売上の90%が固定費で相殺される異常な財務状態にありました。

逼迫する藩の財政は家臣と農民に転化され、俸禄の半分を藩に預ける「半知借上」により家臣は窮乏し、度重なる増税と厳しい自然に耐えられず棄農も相次ぎ、財政悪化に一層の拍車がかかります。遂には藩の借財が16万両(円換算して約380億円)もの債務超過状態に陥る中、上杉鷹山は若干17歳にして第9代藩主を命じられます。

明和4年(1767年)。藩主を襲封し、窮状を知った鷹山は、決然と藩政改革を断行。無駄な出費を抑えるために藩士に倹約を徹底させた上で、荒れた農地を耕し、豪商の投資を促して領内の特産物生産を振興し、農村経営の多角化による収益構造改革を推進します。

やがて天明の大飢饉が襲来し、著しい被害状況から一旦藩主の座を退きますが、10代藩主の後見人として改革を継続し、米沢藩の財政を立て直しました。文政5年(1822年)。享年72歳で上杉家廟に眠りますが、僅か一代で米沢藩に新たな産業を根付かせ、藩の財政を立て直した上杉鷹山は今なお米沢の人々に敬愛され、墓前には上杉謙信公に劣らぬ献花が添えられています。

財政の逼迫を身を以て示し、中長期的視野に立って産業を興す

上杉鷹山の藩政改革は、天明の大飢饉を契機に緊縮財政型から成長促進型へと切り替わりますが、その原理は同一であり、厳しい経営環境の中で健全な財務体質を維持して事業の継続と成長を図る中小企業に示唆するものが多いと考えます。改めて上杉鷹山の収益構造改革を、現代のビジネスに置き換えて分析していきます。

①倹約の奨励と帳簿の公開/「経営の見える化」と情報の共有

米沢藩の財政改革は、当然のことですが、流失するキャッシュフローの抑制から始められます。倹約を藩士に徹底するために、鷹山は率先して自らの仕切金(生活費)を先代藩主より86%カットの209両に引き下げました。

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これは円換算とすると約500万円、名門上杉家の主君に値わぬ質素な生活が強いられます。これが範となり、家臣も理不尽な「半知借上」を腹に収め、その後発せられた「食事は一汁一菜、衣類は木綿」の主命は領内に徹底されていきました。

上杉家家臣の系譜となる第14代日銀総裁の池田成彬氏が「米沢から江戸にでる途中の宿で卵汁なるものを始めて食べた」と述懐したほどですから、鷹山の教えは後の世まで浸透していたことがわかります。

次に鷹山は、米沢藩の収入・支出・借財をその都度記帳した「御領地高並御続道一円御元払帳」(今で言う財務諸表です)を作成し、年間2万8000両の赤字となる藩の財政状況を藩士一同に公開。さらには城門に「上書箱」という目安箱を設置し、農民や町人からの具申を募って、藩経済の実態把握に努めます。

これを現代の経営に置き換えれば、経営の進捗や財務状況を社員に公開することで、目標や課題を共有し、健全な収益構造の確立を目指すガラス張りの財務改革となります。正確なデータに基づく「経営の見える化」はリーダーの的確な判断を導き、透明性ある情報の開示により組織内に危機感が共有され、ゴールの明確化により改革の推進力を高めます。

実際、逼迫する藩の財政状況を明らかな数値と自らの行動て示した鷹山の姿勢は、困窮する下級藩士や農民の共感を呼び、改革の実行部隊となっていきました。

②地場産業の振興/中長期的視野での経営の多角化

鷹山の財政改革の本質は、目先の繁栄を捨て、中長期的視野から健全な収益基盤の再構築を図るものでした。東北の厳しい自然環境の下では、稲作の生産性を高めて石高を上げることは望めません。鷹山は活路を農村経営の多角化に求め、特産物の生産を奨励し、藩を挙げて地場産業を振興。藩外から実践性を重んじる儒学者・細井平州を招き、興譲館という学問所を設立して、これを後押ししていきました。

当時の米沢藩の特産物は、和紙、蝋燭(ロウソク)、絹糸です。鷹山は「和紙を作るために楮(こうぞ)100万本、蝋燭を作るために漆100万本、絹を作るために蚕の餌となる桑100万本」を植林する計画を立て、藩から苗木を付与して植林を進めていきました。このうち最も市場性の高い絹糸に関しては、より収益を上げるために織物まで仕上げることを目指し、織機を武家に設け、織物産地から優れた職人を招いて女性達に学ばせ、出来上がった織物を一括して藩が買い上げる奨励策を推進しました。新たな特産品“米沢織”は江戸でも人気を博し、藩が一体となっての産業構造改革により藩の財政は潤います。

目まぐるしく変化する現代のビジネス環境においても、事業の存続と成長が経営トップの至上命題とされることには変わりません。既存事業の成長に翳りが見えた時に、市場に勢いのある新興事業に目移りしたり、目先の利益だけに囚われて無計画な多角化を進める経営トップもいますが、経営多角化の鉄則は“自社のリソースを活かし、経営の相乗効果を高める新規事業への進出”です。米沢藩の特産品に着目し、その市場性を高めるためには厳しい財政状況下でも先行投資を怠らなかった鷹山は、先を見通せる改革者であったと言えます。

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③武士が主導した農村の復興/組織の連携による経営基盤の強化

卓抜した財政改革者・鷹山は、強化すべき経営基盤は城ではなく農村であることを見抜いていました。自ら鍬を振るって土を耕し豊作を願う儀式「籍田の礼」を行うと、棄農相次ぎ荒れ果てた農地の開墾に下級藩士たちを動員。田畑の開墾や治水・灌漑工事を行い、飢饉・凶作に備えて籾を蓄える蔵を村ごとに設置します。また、減少した生産戸数を回復するために、家督を継げない藩士の次男・三男に家屋と土地を提供して、農村への土着を勧めました。

こうしたインフラ面の整備ばかりでなく制度面の改革も進め、農民を監視する代官の世襲制を廃止し、新たに領内を12に区分して、農民たちに技術と道徳を教える「郷村教導出役」を藩から任命。農村に定住させ、各区域の相談役となることで、藩の統制と自発的な生産力の強化につなげました(今で言うQCサークルですね)。

健全な財務体質を構築するために、安定した収益基盤を確保することは欠かせません。そして、確保された市場や仕組みに安定をもたらすものは、統一されたガバナンスと組織の連携です。どんなに優れた成長戦略も組織が分断されていては機能せず、どんなに優秀な人材が集まっていても個別に動けば組織全体の成長力にはつながりません。「郷村教導出役」による藩士と農民が一体となった農村改革は、米沢藩の収益基盤を一層強固なものとし、財政再建を支える大きな力となりました。

④士農工商の垣根を超えた経済循環/全体最適化された財務戦略の推進

鷹山の財政改革で刮目すべき点は、当時の不文律とされた士農工商の職能別身分制度を超えて、米沢藩に最適化された経済システムを成立させたことにあります。

植林や特産品振興には資金が必要ですが、藩には内部留保がありません。藩内の商人からは散々借財をしていますから、首を縦に振りません。ここで鷹山は、軍神・上杉謙信公も思いつかぬような奇策に転じます。藩外の酒田や江戸の豪商から融資を受ける見返りに、米沢藩の俸禄を与え、米沢織や和紙、蝋燭の独占販売権を付与。つまり、豪商達と特産品販売事業の資本業務提携契約を締結し、米沢藩の大株主として迎え入れたのです。

正確なデータに基づき、自社のリソースと未来を見据えた経営リーダーにとって、財務活動は計数管理や分析を超えて、事業の収益性やパフォーマンスを高める成長戦略の一環として機能します。豪商達と連携した米沢藩の戦略的な財務構造改革は、豪商達からの融資を基金に米沢の地場産業の設備を拡充して農民達を潤わせ、他の商人達の目を米沢に向けさせて市場を活性化させ、藩内に流通する通貨量を増やして領内の経済を安定させ、米沢藩の財政を好循環させていく成長エンジンの役割を果たしました。

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新たな価値を見出す経営基盤NetSuiteの実装

自ら率先垂範する強いリーダーシップで、財務諸表を用いて逼迫する米沢藩の財政状況を「見える化」し、藩士と農民が一体となって収益基盤強化の「プロセスを統合」し、豪商達の投資を促して特産品を主軸とする「最適化された」マネジメントの仕組みを米沢藩に構築した上杉鷹山の収益構造改革は、彼の名言「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」を身を以て示したものとなりました。

正確なデータから導き出される「経営の見える化」と「事業全体のプロセス統合」を経営基盤に実装することは、組織の連携を強化して成長へのポテンシャルを高め、限られたリソースの価値を最大化することによりビジネスに「最適化された」新たなバリューを見出します。

経営進捗のリアルタイムな可視化とビジネスインテリジェンス機能により企業のマネジメント力を最大限に向上させるNetSuiteで、皆様も成長への連鎖を生む収益構造改革を為し遂げてください。

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